その4  「自分史」本を考える

2014-02-07
 食べ物本づくりが、自分の生業ではありますが・・・・
思いたって、ある高齢者の自分史の執筆を、ボランティアでできる範囲で手伝うことにしました。せっかくやるのだし、もう相手は高齢でもあるのだから、悔いの残らない形にしたいと「自分史」の書き方本も開いてみたり・・・・。
きっかけは、その高齢者が人生終盤に来て、心穏やかならぬ様子を知ってしまったからでした。
「あなたは十分がんばられた、まじめに懸命に生きられた。たとえ結果が上り坂のまま人生が終えられなくても、限られた環境のなかで作った山は、その制約から思えば相当大きな山でしたし、他の誰にも作れなかった個性味あふれる山でしたし、その時を共有した人々にとっては忘れがたい夢の時間の山だったことは確かです。すばらしい人生を自らの手で作り、周囲にも幸せを届けながら生き抜いたんですよ」と、文字にして読み返すことで、ご本人に自覚してもらいたくなったのです。
 これには、最近、私自身の大事な親族を亡くしたことが影響しているかもしれません。その人の最後の一呼吸を目の前で見送りながら「素晴らしい生き様を見せてくれてありがとう」と、なぜ賛美し、労をねぎらう言葉を聞かせてあげなかったか、ただ泣いて名前を呼ぶだけで時間を過ごしてしまったか、それでよかったのかといまも自問自答するのです。
 ともかく、一つの人生を振り返って、文字としてしるし、とどめる。製本までしなくとも、プリントアウトした紙を何かしらで綴じる。それを小さな目標にしました。
 ところが、その方の身内がいうのです。「いつ、何があったか、だけでいい。」と。
真意はわかりませんが、決してウエルカムの言葉には感じられず…。
 そんなとき、私が開いた「自分史の書き方」(立花隆著)にはこうありました。
「自分史を書くのは(自分のための次に)家族、あるいは子孫のためである。」そして
「失われては困るかけがえのない記憶」だとも。少なくとも三代くらいは、あとでさかのぼれるように・・とも。人はみんな、自分がどんな人間かを問いたくなったとき、近い家族がどういう人間だったか、一方的な見方ではなく立体的にわからないと、自分のこともわからない・・・・。
「ほとんどいらない」という人の声で足踏みしてしまったものの、間もなく、この本に出会って「必須のものである」と再び前を向かせられました。
最後まで「いらない、読まない」というであろう人の存在は私の目の前にあります。
でも、今の私は90%「必要」と思っている側です。であれば、要らないという人はおいておいて自分の90%に進みます。
そんな時に思い出しました。その、私の微かなマイナス気分を補って余りある「いい本」作りに、携わらせてもらっていました。
 「ヒコーキと私」(非売品)。これも、たまご社編集です。
ヒコーキと私
 いや、実はこれ、著者の息子の嫁にあたる人がほぼ全部仕上げていたのを印刷に回すお手伝いをしただけ。義理の関係でも、どうしてもお父さんの人生を残してあげたい、と熱心に心を込めて表紙の紙質までこだわるに人間関係に、私は大きな感動を覚えたことを思い出します。
 ご本人の人格や人生実績が高かったから、などはたくさんの要因の中のひとつ。
この世の中には、幸せと不幸の順番が思った通りに行かない人もいます。時代の力も大きいし
其々の人生です。精一杯生きたことを、自分が確認し、第三者が一人でも認める。それを形にすることに意味があると信じて、今年、私は人の自分史を書いてみます。                                  松成 容子
たまご社