たまご社発 食育通信

イラスト©森泉 千亜紀
「名シェフが教えるおいしい野菜料理」
(株)旭屋出版

名シェフが教えるおいしい野菜料理

その5

改めて「食育ってなぁに?」


今の世の中、小泉さんまで「食育」という言葉をお使いになるようになり、ずいぶんこの言葉は市民権を持ってきたようです。当然、その後には「が、もっと必要だ」という述語が続きます。

さて、ところで、改めて「食育ってなに?」と定義をただされたら、案外、いろんな定義、つまり個々に理解していることが違うのではないか、と最近思い始めました。あっという間に有名になった「スローフード」という言葉が「ゆっくり食べること」「ゆっくり消化する食べ物のこと」などと、どこかでまことしやかに定義されて、協会の理事さんは憤慨していましたが、「食育」だって同じことだと思います。ただ、「食育」にはまだ協会も本部もないから、スローガンが明文化されていません。

そんな中、私が勉強して掲げた食育のポイントは以下の5つ、と以前も一度、書きました。

  1. 素材の氏素性
  2. 栄養のこと
  3. 料理法を知ること
  4. 国や地域の食文化を理解すること
  5. 食を楽しむ心を持ち続けること

そして、これをひとつずつ、詳しくお話しするつもりで、前回(「その3」と「その4」)は1の氏素性にこだわる意味を書きました。今回も、本当なら2に進む予定でした。が、最近、私の周りで「食育ってつまるところ何なのか、文章で言って」と言われ、ここで一度整理しておくことにしました。

その結果、とっても抽象的なのですが、「食育」の中間目標は「食に関心を持つこと、持たせること」、最終目標は「関心をもって食を知った結果、食に自立した人間を育てること」。なぜなら、自分の食を自分でコントロールできれば、最低限の健康と精神安定を自己の力で守れるはず、つまり人間としての尊厳を守れるから。これが、食育が必要な理由と、目標です。そして、その目標を達成するために行なうあらゆる教育=education=個々の能力を引き出すこと、が食育なのです。だから、食育は、食に関する正しいことは、何でも知る、知らせることではないでしょうか。あとは手段の問題です。

「おぎゃあ」と生まれてものを食べ始めた人間は、よりよく生き、よりよい死に方をするために、一つひとつ、食べ物を吟味する力を身につけなければなりません。この力のつけ方を見守り、よりよくリードするのが親の役目だし、その親を物質的にも情報的にも支えるのが大人社会でなければなりません。つまり、子どもを中心に考えれば、「食の育ちを大人が見守り、支えること」が子どもに対する食育です。

しかし、日々変化のこの社会。大人だって日々学習しなければ、知識は追いつきません。ならば、大人も日々「食育」。つまり、食について学んで育たなきゃいけないのです。

学ぶ、育てる、勉強…なんて、ああタイヘンソウ。けれど、これが楽しいことなら、ワクワク興味がもてるというものでしょう。植物を育てる、料理を作る、知らなかった国のことを知る、別の価値観に出会う。これを食べればお肌がきれいになる、など、小さなことでも一つひとつ、じっと見つめる時間と心の余裕を持てば、食べ物の世界には科学も経済も、色合いの神秘もいっぱいある。まず大人が心に余裕を持っていま食べているものに関心を示して、話題にして、子どもと一緒に楽しむ。料理が失敗しても、「一生に一度の味よ。しっかりおぼえといて」と笑いとばす。そんな「関心」姿勢が食育の第一歩だし、その一歩を踏み出していれば、目標の半分、中間地点まで来ています。

去る10月、食に対する「関心」が世界でもっとも強い国、フランスに行ってきました。毎年行なわれている「食の週間」を取材するためです。詳しい報告は次号で。(ああ、また、ポイント2の話は当分先になりそうです。)

まつなり ようこ