たまご社発 食育通信

伊雑宮の御田植祭の様子。

その12

春は、やっぱ、
   田植えでしょう


●一生に一度はおすすめ、田植え体験

毎日お世話になっているお米がどうやって育つのかを、泥の感触、苗の緑、夏場の草取りに秋の収穫と、時間と汗と労力をもって体感できるチャンスは逃がさないほうがいい。農家でない限り、そうそうできるチャンスはないのです。今のブームもいつまで続くか保証の限りではないからこそ、今のうち。本当は、人生一度といわず、毎年でも、稲は植えたほうがいい。

伊雑宮の御田植祭の様子。
御料田(ごりょうでん)に立てられた忌竹(いみたけ・右上写真)を、男たちが泥んこになって取り合う「竹取の神事」。このあと、おかげのある笹(取り合って得た竹)を自分たちの船にお供えするのだという。

そこまでして薦める一番の理由は、自分が植えたとなると、苗が気になる。すると、テレビで聞いていただけの自然の状況が他人事ではなくなってくる。どうか夏はしっかり日が照って、秋には台風よ、来ないでくれと本気で願う。さらに、やっと収穫できた量を手に取って1年間の自分の食べる量と比べたとき、「この機にちゃんと収穫できなかったら1年間の食生活は、いったいどうなるのかという不安感」が実感として生まれ、やっと日本の自給率やら国際化やらを自分のものとして考えるようになるからだ。

もとより、体験程度で稲を育てているのは、本来はお遊びの域。米作りには八十八の仕事があるといわれるとおり、毎日気を張って田んぼをお世話してくださる方の苦労は想像しただけでも余りある。自然が相手。そこについ、神の存在を信じたくなる昔の人の気持ち、ちょっとわかる気がするのは私だけだろうか。


御田植の神事。荒々しい神事のあとの静かな光景。幼い子供たちが後ろで楽器を奏で、唄う姿がなんとも印象的だ。

●田植え祭り、体験記

田植えや収穫を「祭り」という行事にするのは、自然に対する畏敬の念があるからだ。

毎年、6月24日に行われているという三重県の伊雑宮(「いざわのみや」または「いぞうぐう」と呼ぶ)の御田植祭に行ってきた。ここは、伊勢神宮の14の別宮(「離れ」のようなものだろうか)の一つで、千葉の香取神社、大阪の住吉大社とともに、日本三大御田植祭(おたうえまつり)のひとつが執り行われる場所。

神宮の始まりは、いまから約2000年前、天照大神(あまてらすおおみかみ)にお供えする食べものを探していたとき、白真名鶴がこの近くに稲穂の存在を教えたことから現在の地に社が建てられたそうだが、田植え祭りが今日のような形になったのは、平安時代末期から鎌倉時代の初めと言われている。

朝から神田(しんでん)を整え、伊雑宮にお参りして今日植える苗をいただき、海の男たち(さすが三重県、海が近い!!)が暴れたあとの田んぼに、子供たちの唄をBGMに若者が苗を植える。
 植え終わると、全員そろってご報告と感謝のために、伊雑宮へと参道をゆっくり上がっていく。途中の休憩には「ひっぱりわかめ(乾燥わかめ)」とお神酒が振舞われながら、なんと200mを2時間もかけて歩く。この日、その様子を終日見守ったのは数百人。田植え祭りになにかを感じてはるばるやってきた人は少なくなかった。

祭りのフィナーレが、伊雑宮まで時間をかけて歩く「踊りこみ」ならば、これはその更なるフィナーレ、千秋楽の仕舞。このとき、すでに時刻は5時に近くなっていた。

雨でも風でも、あの第二次世界大戦中でさえ休むことなく続けてきたというこの祭事の現代の悩みは少子化だという。それでも、この日に役を果たした子供たちや家族は、生涯、この村の出身であることを誇りに思うだろうし、村に青々とそよいでいた緑の稲は忘れまい。

宗教がどうという以前に、自分の主食のルーツを知るのは、おもしろい。曜日が合えば、イベント気分でぜひ村祭りに参加するつもりで出かけるといいだろう。

まつなり ようこ