From Editor

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No.9

春は苦手!

街に出ると、「春になったなぁ」と感じる。いつも着て出ていたコートを「今日はいいや」と置いて外出できたり、住宅街を歩くとどこかの庭先から沈丁花(ジンチョウゲ)が香ってきたり、ウグイスが鳴けばつい周りの木々を探したりと、毎日、外に出てはこの季節ならではの発見を楽しんでいる。

でも、私にとってこの季節、好きだけど実は苦手だ。この季節になると気分がザワザワして落ち着かない。多分それは、春が「出会いと別れの季節」だからで、出会いも別れも苦手な性分の私には、親しい人と別れたり、また新しい人と出会ったりという繰り返しに、いちいち気持ちが揺れるのが嫌なのだ。特に別れは、相手といままで一緒に積み上げてきたものまで、自分の前から去っていくようでとても寂しい。冬を越えてやっと満開に咲いた桜が、東風(コチ)が吹くと、一晩で散ってしまうはかなくて切ない感じとちょっと似ているなと思う。

桜

桜が意味していたものは

こういう、どうにもこうにも寂しい時、私が決まって読みたくなるのは、坂口安吾の『桜の森の満開の下』だ。昭和22年に発表された作品だが、ここ数年の坂口安吾ブームで、若い世代でもご存じの人は多いと思う。

物語は「人のいない桜の花の下は恐ろしいものだ」という内容の冒頭で始まる。

昔、旅人たちは満開の桜の森の下を通ると気が変になってしまった。桜の森のある峠に住む山賊の男は、人を殺すのは何でもない残虐な男だったが、やはり満開の桜の森は恐れて通らないようにしていた。男はある日、盗みついでに美しい女をさらってくる。その女に惚れた男は、女の言うがまま山を降りて都で暮らすようになるが、女のわがままに翻弄されて疲れ果て、ついに男は山に帰りたいと女に言う。女は最初、自分が嫌いになったのかと恨めしそうに泣いたが、それでも最後は男についていくと言い、男は大喜びで女を負ぶって山へ帰ろうとする。しかし、その帰路、満開の桜の森の下を通りがかることになる。男は女を連れて帰れる幸福感のあまり、恐れはないと迷わず花の下を通る。すると、負ぶっていた女が鬼に変わり、男はとっさに鬼を背中から振り落として絞め殺してしまう。しかし、我に返ると鬼はもとの女に戻っていた。男は後悔でその場に泣きふしたが、やがて女の姿は桜の花びらとなって、消えてしまった…。

最後に安吾は、「(人の気を変にする)桜」とは、人間の孤独だったのかもしれないと書いている。孤独の中に、二人の人間は存在しない。孤独は一人にひとつあってしかるべき。だからだろう、この物語を読むとちょっとホッとした気持ちになれるのは。「人間は孤独で寂しくて当たり前」と、つい感傷的になるうちに忘れていた当たり前のことが、この本を読むとふっと呼び覚まされるのだ。

この時季、別れの辛さを引きずっている人、新しい出会いに戸惑っている人、別れも出会いもなく刺激少なく日々を過ごされている人も、ぜひ一度『桜の森の満開の下』を読んでもらいたい。ざっと粗筋は書いてしまったが、文章も美しく、何度読んでも飽きない稀有な作品だ。

編集スタッフ 藤井 久子