From Editor

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No.4

どうしようもないこと

人生には「どうしようもないこと」というのが何回か巡ってくる。例えばそれは、失恋だったり、友人の裏切りだったり、近しい人の死だったりする。こういう事はできれば本当に起こらないでほしいけど、一度起こってしまうともう自分の力ではどうしようもない。どうしようもないくらいに心を揺さぶられるにもかかわらず、そういう時に私たちにできることはなにもない。ただひたすら時間の流れに身を置くだけだ。

私の場合、大学時代に突然父が亡くなったのはけっこうランク上位に入る「どうしようもないこと」だった。今思い返すと、「けっこう」ではなく、かなり辛かったのかもしれない。なにせ突然だったものだから、悲しいのか、悔しいのか、気持ちの落ち着きどころがよくわからなくて辛かった。ふっと父の顔が目の前に浮かんできて途方に暮れたり、自分を見る人の目が気になったり、孤独な気分になったり、無気力になったりということがしばらく続いた。いままで自分が生きてきた「場所」とは違う所に自分が立っている気がして、無性に将来が心細くなったりもした。

でもそんな気持ちも今はもうだいぶ薄れてきた。それは多分、それまでと違う「場所」でだって、時間をかけて慣れていけば、ちゃんと心地良く生きていけるということがわかったからかもしれない。

つよくて美しい木の生き方

以前、屋久島を訪れた時、意外にも屋久島の森にこの感覚と通ずるものを感じた。

屋久島の森には、樹齢が何百年、何千年という屋久杉が何本もある。初めて杉のそばによって、その大きな姿を見上げた時は、なんとも形容しがたい美しさにしばらく呆然と見とれてしまった。

森を案内してくれたガイドの話によると、杉がそれだけの歳月を生き続けるには、数限りない「どうしようもないこと」に遭ってきたのだという。一見静かに見える森の中も常に弱肉強食の世界。自分より高い木が葉を広げれば貴重な太陽光は遮られるし、森に生息する屋久鹿に幹を食いちぎられることもある。また台風が大木さえも根っこからなぎ倒さんばかりの勢いで年に何回も襲いかかってくる。まさに生死をかけた「どうしようもないこと」の連続なのだそうだ。

それでも彼らが生きているのは、決して運がよいからというわけではない。そういった出来事に上手に対応しているからだ。ガイドの指摘でよくよく木を見てみると、ただ立派だと思っていた幹は一部が奇妙に縮れていたり、枝は変な方向を向いて生えていたりで、決して順風満帆とは言えなかったであろう木の人生(木生?)を見取ることができた。

人の一生もこれと同じことだと思う。生きていれば必ず「どうしようもないこと」が待ち受けているわけで、そのたびに私たちは傷付けられ、否応なく今まで生きてきた「場所」から切り放されて転がり落ちた別の「場所」で生きていかなくてはならない。でも、どんな所でだって、つよく美しい姿で人生を生き抜けるかは自分次第。

台風が通り過ぎた後、屋久島の森は十分に潤い、木々は生気に溢れる。人生だって苦あれば楽あり。生きていれば時には「どうしようもなく幸せなこと」だって待っているわけで…。

編集スタッフ 藤井 久子