From Editor

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No.3

25歳のころ

世間では12歳、14歳、17歳ともっぱら10代が話題を集めているが、みなさんは25歳のころなにをしていただろうか。実は私は先月で25歳になった。

歴史上の有名人の25歳のころをみると、当たり前だが実にいろんな人がいる。

リンドバーグは大西洋横断に成功、リンカーンは州立議会議員に初当選、「TIFFANY」の創立者C・L・ティファニーはニューヨークに記念すべき1号店をオープンさせている。一方、ショパンは作曲活動燃えるさなか婚約が破談、ゴッホは大学進学への道を断念し貧困生活。沖田総司は25歳が享年、である。

いつの時代だって若者たちは精一杯生きていただろうし、もちろん現代だってそう。10代以上に20代半ばは毎日いろいろとあるのである。

心境は揺れるみの虫

私は現在、編集プロダクションに務めて3年目になるが、ここでの仕事は本当に奥が深い。本の企画、制作・管理とひと言でいうと簡単だが、原稿に1文字の間違いも残さぬよう、こんこんと誌面と顔をつき合わせての作業が夜遅くまで続くこともある。

しかし、なにより気を使うのがやはり取材だ。これは毎回が緊張の連続。相手と1対1で話をするその空間では、常に「自分の質」というものが問われる。的外れなことを聞いてやしないか、失言はなかったか、相手がしゃべりやすい雰囲気を作れたか、相手の言わんとしていることを読み取れたか、すべてが自分の力量次第、なのだ。

ここ3年、定期的な仕事で毎月、取材をする機会も回を重ね、ようやく経験と共に「自分の質」もだんだんと構築されつつある、と思えるようになってきた(構築されていなくては困るが)。と同時に、世間への貢献度を自分に問うことが増えた。取材相手たちはみな、何かしらの分野で活躍をしながら、「さらに世間に貢献したい」という強い思いをもっている。そういう人たちを間近にしてきたから余計にそう思うのかもしれない。

しかし、25歳というのは自分の世間への貢献度がとても図りにくい。20代前半のように無邪気に「がんばります!」では通らないし、かといって30代のように自分の地位や得意分野は確立できていないので、一体私は何の役に立っているのやら、いないのやら。ひとつの仕事を終えるごとに相手の評価で、まさに風の向くまま右にも左にも揺れるみの虫のような心境なのだ。

しかし、そうは言っていても始まらない。いま、私が世間にどんなふうに役に立っているのかはまだわからないけれど、ボールを投げ続ける心意気は常に持っていたいと思う。

以前、とあるイベント会場で売り場に立って本を売ったときのこと。そのときブースに立ち寄った一人の中年男性が、数ある中からうちの会社が作った本を手にとり、かなり長い時間その場で読みふけっていた。そして最後に財布を開きながら、「へぇー、これは便利な本だね。1冊もらうよ」とひと言。

とてもささやかな出来事であったが、このときの感動が私は今も忘れられない。「私の作った本がきっとこの人の役に立つにちがいない」と思えた最初の瞬間だった。

編集スタッフ 藤井 久子